長寿大国日本。生涯を通して2人に1人ががんを経験すると言われ
そのうち3人に1人は就労している年齢でがんを見つけています。
いざ自分がなった時、そして周囲の誰かがなった時
慌てず対処するためには、経験者の話に耳を傾けるのが一番です。
”がん=死”というイメージを払拭する為に様々な体験談をお届けしていきます。
インタビュイープロフィール
お名前:榊原由佳さん
職 業:派遣社員
がん種:乳がん、大腸がん
ステージ:乳がん ステージ3A
大腸がん 早期で大人しい癌
治療内容:乳がん 抗がん剤→手術→
現在ホルモン療法
大腸がん 内視鏡切除
休職期間:手術前日6/14~7月末まで
(傷病手当受給)
広島県福山市出身。40歳の時に心機一転上京。2017年お盆明けに会社の健康診断で乳がんが見つかる。抗がん剤治療、右胸全摘手術+リンパ郭清、大腸がん内視鏡的粘膜切除術(EMR)を経て、自分に出来ることを探し2018年10月13日ピンクリボンスマイルウォーク3㎞に参加。その後大腸がん&乳がんセミナーや日本対がん協会創立60周年記念、サバボーテ、ネクストリボン、ラベンダーリング、アドボケートセミナーや、ジャパンキャンサーフォーラム等興味があるセミナー&イベントに参加し、リレーフォーライフ上野では初ボランティアも経験。2020年からはオンラインにて興味がある活動に参加している。
目次
・3年ぶりの健康診断で乳がんが
・抗がん剤治療と仕事の両立の為に
・配慮もありがたいけれど必要なのは制度
・派遣社員として働く人へ伝えたいことは
・がんに罹患した方へのメッセージ
3年ぶりの健康診断で乳がんが
―がんが見つかった時の状況を教えてください
派遣会社で3年ぶりの健康診断を受けた時に、エコー検査をして見つかりました。
前から貧血の検査を定期的にしていたので、健康診断を受けなくても問題ないと思い、2回ほどスキップしていました。でも流石に3年も受けないのは良くないと思っていたら、ちょうど無料で乳がんと子宮頸がんの検査ができると言われました。5~6年前にマンモグラフィーの検査をした時は異常がなかったですし、今回はエコーでの検査なので痛くないと安心して受けたら検査時間が長かったんです。そしたら数日後に派遣元から、検査したクリニックに至急連絡するようにと言われました。「”しきゅう ”って私、子宮の検査をしていないのに?」って冗談で言い返しました(笑)。それからすぐにクリニックに連絡をすると、CR-ROMの受け取りと、早急に再検査をするように言われました。
その日は急遽仕事を早めに終えエコーのCR-ROMを貰いに行きました。まあ、検査したら陰性ってパターンもあるし、それほど深刻には考えていなかったです。でも、それを友達に話したら、乳がんって触ってみたら分かるんじゃないかって言われて、触ってみたら大きな固まりがありました。突然の事だったので、どこに再検査に行けばいいのかわからず、知人に相談したら、乳腺外科クリニックを紹介してくれました。“人気のある”先生と聞いていたのですが、すぐに予約が取れたので受診すると、触診だけで悪性腫瘍だから抗がん剤を1年間してから手術をすると言われました。
―それは急ですね。治療方法を選ぶことは出来なかったですか?
そうなんです。悪性と言われてもまだ一度も検査していなかったですし、先生に「これって良性って事もあるんじゃないですか? 」と聞いたらリンパにも転移しているからその可能性はないと言われました。私は、他にも色々先生に聞きたかったのですが、その時は聞くことは出来ませんでした。それから検査日は提示された日程の中で選ぶように言われたり、血液検査では事前に何も聞いていなかったのに注射の針を胸に刺してする検査(細胞診)をすると聞き戸惑ったり、骨シンチグラフィやMRIをいついつまでに他の病院で予約するよう指定されたりで慌ただしく過ごしました。その後、検査がすべて終わって腫瘍の大きさもわかったので質問をしたのですが、 他の患者さんを待たせて今質問することじゃないと怒られ「私も患者なのに」と思ってしまいました。その後治療方針を聞くにも時間外でお金がかかると言われ、色々疑問に思うことが多かったので、紹介状を書いてもらい、今の病院に転院しました。
―転院先ではどのような検査・治療をしましたか?
改めて血液検査、新たに造影剤を使ったCTや生体検査等、必要な検査をして最終的に抗がん剤治療をすることになりました。本当は抗がん剤もやりたくないし、切りたくもなかったですが、検査の流れに沿って転院してから1カ月半後に抗がん剤治療がスタートしました。その時に運よく遺伝子の治験に空きがあって、遺伝子検査をすることができました。そこでまた 色々な知識を得ることができました。
―どのような知識ですか?
例えば、薬剤師の方との面談でわかったのですが、体にいいと思って飲んでいたサプリにも注意が必要だということでした。 サプリにはエビデンスがないこと、薬と薬がけんかすると教えていただいて、それまで飲んでいたサプリを一切やめようと決めました。また、抗がん剤をして腫瘍が消えたとしても一旦がんが見つかったら手術をすると言われました。
―治療を始める前に会社の方には話しましたか?
はい。これから どうなるかわからないので、派遣元と派遣先の上長にはすぐ話をしました。幸いなことに当時の上長たちはとても理解のある人たちで「まずは自分の体を優先に!」と言ってくれましたので安心して治療ができると思いました。
使える制度についてもなんとなく知っていたので、医療費の限度額認定などすぐに書類の手配をしてもらいました。休みについては有休が溜まっていたのですが、最初の抗がん剤治療をした3か月で結構休まざるを得なかったので有休を使ったり、無休にしたりと自分なりに調整をしながら休みました。
―抗がん剤治療の時、体調はいかがでしたか?
抗がん剤をしながら、仕事に行けると腫瘍内科の主治医には聞いたのですが、私は体が辛くて、10日程休んでは10日程仕事に行き、また抗がん剤の日が来るというのを4回繰り返しました。でも、その次の3か月の抗がん剤治療では、軽い副作用のオンパレードはありましたが起きることや動くことが出来たので、休むことなく仕事に行くことが出来ました。会社には事前に自分のスケジュールを出しておけば良かったので、毎回休む連絡をする必要がなかったのは良かったです。
抗がん剤治療と仕事の両立の為に
―職場に通いだして大変だったことは?
通勤ですね。立っているのが辛いので、優先席に座りたかったのですが抗がん剤の副作用で動きが遅くなっていて、席が空いてもたどり着けませんでした。なんとか優先席の前にたどり着くことが出来ても、見た目ではわからないので席は譲ってもらえませんでした。
それでヘルプマークを付けたらわかってもらえると思って色々な所へ探しに行きました。でも、なかなかもらえる場所が見つからず、頼みの綱がなくなったと思いショックを受けました。その後知り合いにもヘルプマークを探してもらうと、元同僚が都営線で見つけ、速達で送ってくれました。その時は本当に嬉しかったです。ヘルプマークをつけていても実際は中々席を譲ってもらえないのですが、優先席に座った時の自分を守るためにつけようと思いました。
手術が終わってからは、満員電車に乗るのが怖かったので、朝早い時間に通うようにしてみたところ座っていくことが出来ました。術後は、寝るのが早くなり早い時間でも元気に起きられます。また、電車で少し眠れるので何とかなっています。
―その他に辛いことなどありましたか?
まだ手足のしびれや足のダルさが続いています。他の症状としては半月板を損傷し、痛くてかがむのが辛かったのです。私は抗がん剤の影響だと思いましたが、整形外科では加齢と言われました(笑)。最初に診察を受けたクリニックでは手術を勧められましたが、どうしてもその気持ちになれなくて他のクリニックにMRI撮影のCD-ROMを持って行き 、そこでお世話になることにしました。湿布を貼り、毎日1万歩以上歩くことを続けたら1年過ぎたころに松葉杖はいらなくなりました。
その他に辛かったのは大腸がんが見つかった事です。乳がん手術後に腫瘍が消失したので、臨床試験を受けられることになり、試験前に受けたPET-CTで検査をしたら、大腸がんが見つかりました。これを聞いた瞬間はかなり気持ちがへこみました。そこで初めて大腸がん内視鏡検査をしたのですが、運よく早期だったため、内視鏡切除で完治し経過観察になりました。やはり、がんの種類や進行度によってかなり違うと思いました。
配慮もありがたいけれど必要なのは制度
―周りの人の配慮で助かったこと、困ったことはありますか?
手術の後に復帰したら、職場がかなり忙しくなっていたのですが、すぐには残業をしなくていいと言われました。また、当日出来る業務に変わりました。私も最初の3か月の抗がん剤治療時のように具合が悪くなり休むと周りに迷惑になると思っていたので、それはとてもありがたかったです。隣の席の人には、「明日、私にもしものことがあったら(笑)・・・」と業務の引継ぎはいつも伝えていました。
困ったことは、しばらくして新しい上長にかわり私が特別な配慮を受けていると思われた事です。残業もしていましたし、実際は特に配慮は受けていませんでした。でも配慮を受けているという誤解に対して派遣の担当者も強く言えなかったことから、罹患者には配慮ではなく制度を整えることが必要だと思いました。
―どのような制度ですか?
今までの上長は、通院や用事があれば、遅刻や早退は全然問題なく取ることが出来ていました(もちろん、その時間の時間給はもらえませんが)。だから、がん罹患者も1時間単位で有休がとれたら通院しやすいと思います。派遣は決まった時間帯で働く契約ですが、私としては派遣社員も社員と同じようにフレックス勤務や1時間単位で年休がとれたら休みやすいと思います。がんは風邪とは違うので、体力が低下する場合があり、直ぐに元の体の状態にはなりにくいです。私のように今でも手足のしびれ等が続いたり、いつ再発転移するかと不安に思ったりしているサバイバーの人たちは多くいると思います。周りに遠慮なく心置きなく治療ができるように通院や遅刻や早退がしやすい勤務制度があると良いと思います。
派遣社員として働く人へ伝えたいことは
―派遣社員でがんになると 、仕事を続けられるのか不安になりませんでしたか?
随分前に職場で、派遣社員だけど2か月以上休んでいた人がいました。でも誰も休んでいる事情について知らず、私は派遣でなぜ長期の休みがとれるのだろうと不思議に思っていました。その後、その人が出社したときにウイッグをつけていているのを見て、初めてがんだったと気づきました。だから派遣社員でがんの人の前例はありました。
私は自分ががんであることを包み隠さず話しています。派遣社員として、会社の中で私が治療しながら元気に頑張っている姿を見せることが、同じ境遇になった人の励みになるのではないかと思っています。私が、時には早退したり休んだりしながらでも出社し働くことで、罹患しても自分の体調に合わせて仕事が続けられると伝えられると思います。
何かと派遣社員は会社で辛い立場ではありますが、2人に1人はがんになる時代です。派遣社員もがんになる可能性は十分にあります。最初にがん治療をしてくださった腫瘍内科の主治医にも仕事は辞めないでね!と優しく言われましたし、今は通院で抗がん剤治療もできます。実際派遣社員で働く私がロールモデルになって仕事と治療を両立する例を作ろうと思って働いています。
がんに罹患した方へのメッセージ
―がんに罹患した方へのメッセージをお願いします
個人差もあるし、感覚も価値観もそれぞれ違い、何が正解かわからないこともありますが、今はがんでも働きながら治療が出来る時代になっています。私は仕事を辞めなくてよかったと思うし、仕事が気分転換になりました。普通に続けられることは続けること、病気になって元の体(状態)ではないことを自分自身で受け入れることも大切だと思います。それによって前に進めるし、人と比べず最善を尽くしたらいいのではないでしょうか。
自分の体なので体調・治療を優先順位の上に持ってきて、次に仕事だと思います。私は自分の体の声を聞くようにしています。毎日体をさすりながら、自分の体の部位や細胞たちへ「今日もありがとう」と語り掛けをしています。体を労わって生活することが自分の為になります。また余力があれば誰かのために出来ることもしていきたいと思っています。「どうして自分が?」と思う時期もありますが、誰かのために何か小さな事をすることでより良い未来になるように思えます。1つ1つが次への力になり、繋がりや輪が広がって、お互いを支え高めることが出来ます。自分が納得し、決めて一歩進むことで、それが行くべき所であれば必ず道が備えられていると思います。
ーそう考えるようになったのは、がんになってからですか?
クリスチャンなので、もともと聖書の教えとして頭にありましたが、病気になって身近になりました。抗がん剤治療中に沢山の人からの愛、優しさ、助けや支え、励ましがありました。これが終わったら恩返しをしたいと思い、それが生きる力になっていました。
また、がん患者サバイバー仲間が出来て世界が広がり、学ぶことが多くなったからだと思います。最初に日本対がん協会のサバボーテで語り合う時間があって、その時がん罹患者の知り合いが出来ました。人によって病名も違うしステージも違うけど、すごく明るくて前向きな姿勢をみて、私ももっと何かが出来るし頑張ろうと思えましたし、その人たちの明るい笑顔の裏で病気と戦っているというのをひしひしと感じました。その人たちの影響は大きかったですね。高い志のある人たちが身近にいることで自分自身をも高めることができます。それが自分の力となります。最近、オンラインが増えてそういう人に出会うことが多くなりました。それから、私の場合抗がん剤治療をする前にがんの顔つき(病理的悪性度―グレード)を聞いてなかったので、かなりひどい状態だと知らず呑気にやれていました。楽観的でいるのも大切だと思います。まだまだ治療は続きますし、これから何が起こるかはわかりませんが、日々の幸せに感謝して、いっぱい笑って生きていきたいと思っています。
貴重なお話ありがとうございました。榊原さんの「自分の体の声を聞いて労わって生活することが自分の為になる。その上で余力があれば誰かのために何かをすることがつながりや輪になる」という言葉に、無理せず自然体で暮らすことの大切さを学びました。これからの榊原さんのご活躍を応援しております。
2022年2月1日
語り:榊原由佳
取材:小野順子
文 :小野順子
写真:ご本人提供
※本記事はがんを経験された個人の方のお話であり、治療等の条件や判断は1人1人異なります。全ての方にあてはまるものではありません。
感想・インタビュイーへのメッセージお待ちしております
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